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2019.12.20

おかやま工房 創業35年の歴史③ ~パン屋の修業・開業・リエゾンプロジェクト開発・海外進出など~

代表の河上祐隆(かわかみつねたか)や、おかやま工房、そしてリエゾンプロジェクト開発などの歴史についてまとめました。

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目次

2008年 ジャカルタにPAN-YA 海外でベーカリーを初プロデュース

リエゾンをオープンして約8カ月が過ぎた2006年12月、河上は、 村田幸平と名乗るインドネシア在住の男性から突然の電話を受ける。 村田氏は日本の商社に勤めるジャカルタの駐在員で、ジャカルタに ベーカリーを開業したいのでプロデュースしてほしいという。

海外での開業にも、東南アジアにも全く興味のなかった河上だった が、2007年1月に岡山を訪れた村田氏に根気強く説得され、ジャカル タの視察を決めた。

未知の国、インドネシアで食べたパンは、30年前の日本のパンの味 に似ていて、懐かしさを感じた。地元の商店で売られている安いパン でも、買えるのは比較的裕福な人たち。品質もこれから大きく向上す るだろうと、日本のパン業界が歩んできた道を思い出し、インドネシ アのベーカリーの未来が容易に想像できた。日本のパンなら勝てる! 直感的におもしろいと感じた河上は、海外で初めてのベーカリープロ デュースを引き受けることにした。

初期投資を抑えるため、村田氏と、ビジネスパートナーのインド ネシア人、Mustafa Dharmawa氏が出店場所に決めたのは、7階建て ショッピングモールの5階。現地の製パン機械と材料を使い、現地の スタッフを雇う。テストベイクでは、すぐに日本の味に近いパンがつ くれ、順調に開業できるかに思えたが、2008年9月、河上が最終のオー プン準備のために2週間の予定で出向くと、状況は違っていた。

オープン予定日の1週間前にも関わらず、店舗の工事は進んでいな い。製パン機械が入り、製造スタッフに指導できたのは、オープン日 をとうに過ぎた帰国直前の2日間。言葉の通じない現地スタッフに、 日本の直営店の一部商品と、日本で過去に人気のあったウインナー ロールやチョコレートのパンなど、40種類の製造方法を教えた。

国内の仕事が山積していた河上は、帰国前日に強引に店を仮オープ ンさせ、翌10月にPAN-YA(ぱん屋)1号店は正式にオープンした。

インドネシア・ジャカルタ UNIQLO初出店で話題のロッテモールに PAN-YA7号店がオープン

2013年8月、ジャカルタの中でもショッピ ングモールが多く立ち並ぶクニンガンエリア。 日本のユニクロの東南アジア最大級となる ジャカルタ1号店がオープンし、話題を集める ショッピングモール、Lotte Shopping Avenue にPAN-YAの7号店がオープンした。

場所は地下1階。同じフロアには、日本語 ののれんを掛け、日本のパン屋を真似た“ジャ パニーズ・スタイル”のベーカリーが先にオー プンしていた。グランドオープンに向け、お かやま工房からは河上と、河上の息子の勝 かつ 史 し 、 販売スタッフの女性2人がジャカルタ入りし た。

PAN-YA初の試みとなったのが、ミニパン の量り売り。通常の3分の1のサイズのクロワッ サンやワッフル、フレンチトースト、ドーナ ツなどをお客さまが好きなだけ選び、量った 重さで価格が決まるというもの。100gにつき 2万ルピア(約190円)で販売される。

さらに、小豆あんたっぷりのOKAYAMA ANPANや、アイシングで山の雪化粧を表現 し、頂上にイチゴジャムをのせた「富士山」など、おかやま工房の直営店では見ない特別 なパンも並び、最高級品質の材料を使って焼 いた食パンには、京都の「祇園」の名前が付 けられている。

グランドオープン当日。店はお客さまでごっ た返し、レジの前には幾度も長い行列ができ た。浴衣を着た日本人の女性販売スタッフが 笑顔で配る試食のパンはすぐになくなり、2人 は何度も工房と店頭を行ったり来たり。日本 らしい華やかな装いでのPRは大成功した。

日本の直営店の価格とほとんど変わらない 高級パンを、「高いけど、日本のパンはおいし いから当然だよ」と言いながら、トレイの上 に山積みにして買っていく。ミニパンの量り 売りのコーナーにも興味津々といった様子の お客さまが集まっている。夕方にはパンが品 薄になり、「○○パンはもうないの?」「あと 30分で次が焼き上がります」といった会話が 飛び交うほどの盛況ぶり。予想以上の売り上 げを記録して、また一つ、ジャカルタにPANYAが誕生した。 (2013年8月に取材)

2009年 ミニベーカリーはビジネスになる! リエゾンプロジェクト本格始動

2007年11月、わずか1週間の研修期間でオープンさせた福島のア イスブレッド。程なくして起こった中国製冷凍毒ギョーザ事件により、 食の安全に関心が集まる中、国産小麦100%で無添加の焼きたてパン の店は人気を集めた。2008年5月には、いわき駅前に2号店のアイス ブレッドラトブ店を開業し、河上が再びプロデュースした。

1号店プロデュースの経験から、すでに新しいビジネスの始まりを 確信していた河上は、2号店のオープン時には、ミニベーカリー開業 の仕組みを作り上げていた。当初はフランス製のミキサーを使うなど、 小さめの機械を集めて工房をつくっていたが、機械メーカーに専用機 械の製作を依頼し、定年後の高齢者でも自宅で開業できるよう、家庭 用電力が使える製パン機械をつくらせた。パンを焼く天板も通常のパ ン屋で使うサイズの2分の1の大きさ。設備もすべてミニベーカリー 専用に縮小した。これにより、一般的な大きさのパン屋で約3000万 円必要とされる開店資金が3分の1程度ですみ、通常最低でも20坪必 要な店舗面積も、7坪あれば開業が可能になった。開業マニュアルは、 河上が独立する部下に渡していた手書きのメモをまとめ、すぐに完成 した。オープンまでに必要な準備の内容が細かく記されている。

2009年1月、小規模ベーカリーの開業を支援するプログラム、リ エゾンプロジェクトを本格始動。プロジェクトを立ち上げるにあたり、 マネージャー2人、トレーナー2人、あえて異業種の人材を採用した。 ミニベーカリーの開業希望者はトレーナーから5日間の研修を受け、 15種類のパンの製造方法をマスターする。未経験者に教えるトレー ナーも未経験であるべきというのが河上の考え方。河上から5日間の 研修を受けたトレーナーは、そのとき撮影した河上の映像を繰り返し 見て、自分が開業希望者に教える内容を覚えた。

2009年9月、岡山駅前にリエゾンプロジェクト研修センターを開設。 2014年4月には、東京都品川区にも研修センターを開いた。

2009年 待望のリエプロ1号店がオープン 九州で開業が相次ぐ契機となる

リエゾンプロジェクト(リエプロ)が本格的に動き始めて3カ月後 の2009年4月22日、大分県玖 く 珠 す 郡 ぐん九 ここ重 のえ町 まちにオープンしたのが、九重 のここのぱん屋。記念すべき、リエプロ1号店である。

うどん店経営が、オーナーである豊田治行氏の本業。地元では誰で も知っている食事処春日は、うどんがおいしい和食の店だ。春日の隣 で営業していた豆腐と湯葉を出す田舎料理の店を閉め、和食とは違う 業態を模索する中、友人でもある東京のコンサルタントに紹介された のが、河上が始めたばかりのリエゾンプロジェクトだった。2009年 始めにリエゾンを訪ね、研修センターや、スタッフが開業したという ミニベーカリーを見て、すぐに契約を決めた。

一番の決め手に、河上と自身のコンセプトが同じだったことを挙げ た豊田氏。素材を厳選し、体に良い、おいしい食事を提供する食事処 の隣に、国産小麦でつくる無添加でおいしい焼きたてパンの店。相乗 効果も期待でき、開業に迷いはなかった。

豊田氏は経営に専念し、パンの製造はしない。製パン経験の全くな いスタッフ2人が開店に向け、岡山で5日間の研修に参加した。本当 に5日間で覚えられるのか不安だったという店長の尾方千恵美氏。生 地を丸める基本的な作業もうまくできず、それでも必死に覚えて大分 に戻り、開店の日までひたすら練習を繰り返した。

無事に迎えたオープン当日は、河上やリエプロのトレーナー、おか やま工房のスタッフも製造と販売のサポートにかけつけた。

大分に待望のリエプロ1号店がオープンしたことは、リエゾンプロ ジェクトに興味を持つ開業希望者を九州に増やす契機となった。同じ エリアの実店舗を訪れると、開業が具体的にイメージできる。2013 年7月には宮崎県の高鍋町にベーカリーCafe風々々が、2016年1月 には熊本市に石川製パンがオープンし、いずれも無添加生地のおいし いパンを求めて地元客が通い続ける人気店である。

リエゾンプロジェクトネットワーククラブを設立 オーナーのための勉強会は貴重な情報交換の場

2009年に正式に事業化し、すでにプログラムとして確立されているリエゾンプロジェク ト(リエプロ)。ミニベーカリー開業希望者の 面談や研修、実際のオープンに向けたサポー トまで、すべてトレーナーが担当している。5 日間の研修は、2009年9月1日に開設された リエゾンプロジェクト岡山研修センターと、 2017年4月1日から稼働するリエゾンプロジェ クト東京三田研修センターで行われる。

リエプロを通じて開業したミニベーカリー は、おかやま工房のFC(フランチャイズ)で はなく、各店の独立経営である。そのため、 コンサルティング契約は結んでいないが、実 際は、マネージャーやトレーナー、河上自身 が開業後もオーナーの相談に応じている。

これまでもオーナー向けの勉強会を定期的 に開いていたが、サポート体制を明確にする ため、2016年8月にリエゾンプロジェクトネッ トワーククラブ(LPNC)が設立された。

月会費5000円を支払って入会すると、アフ ターフォローが優先的に受けられる。現在、 約140店舗が入会し、年5回の勉強会に参加し ている。岡山、東京、名古屋、福岡の会場で順に開催されるが、講師を招いたセミナーや 河上による製パンのデモンストレーションな ど、内容はさまざま。毎回5~10種類の新商 品のレシピが提供され、全国から集まるオー ナーが売り上げを報告したり、成功例・失敗 例を発表したり、抱えている問題を相談した りと、オーナー同士の貴重な情報交換の場、 交流の場にもなっている。

小麦の収穫時期に合わせ、毎年7月には北海 道で1泊2日の研修ツアーを実施している。札 幌市内の人気ベーカリーを視察したり、黄金 色に色づいた小麦畑を訪ねたり、江別製粉の 工場を見学したりと、充実したプログラムに 参加者は多い。

5日間でパンづくりを覚えたリエゾンプロ ジェクトのオーナーには、おかやま工房の直 営店で働く河上の部下たちのような技術はな い。ほとんどの個人オーナーは、経営の経験 もない。独立後、毎日パンをつくりながら、 店を経営しながら、自ら学んでいくことにな る。LPNCの存在意義は、製パン技術だけで なく、経営者として店を経営していくノウハ ウを伝えることにある。

2010年 無添加生地の冷凍輸送に成功 リエプロ冷凍生地工場オープン

はやしま工房は、2010年3月、おかやま工房直営のミニベーカリー として早島町観光センター(岡山県都窪郡早島町)にオープンした。 自治体の要請を受けて開業に踏み切ったものの、出店準備を始めてみ ると、厨房がとても小さく、2、3坪しかない。最低4坪なければ製パ ン機械が入らず、材料を置くスペースも確保できない。苦肉の策でミ キサーは置かず、リエゾンでつくった生地をチルド冷蔵の状態のまま 毎日運ぶことにした。

合成添加物を使う一般的な生地は冷凍しやすく、工場で大量に製造 して全国に送れるため、パン屋のチェーン展開が容易に可能だ。無添 加生地は通常冷凍できないので、ビジネスを広げにくい。河上は、は やしま工房にチルド状態の生地を運ぶうち、無添加生地も冷凍できる のではないかと考えるようになる。そして、材料の配合を変えるなど、 試行錯誤しながらテストベイクを繰り返し、ついに冷蔵と同じように おいしいパンがつくれる冷凍生地を完成させた。

冷凍輸送が可能になった無添加生地は、2011年4月に大阪市阿倍野 区のあべのキューズモールにオープンしたベーカリーカフェひるぜん ファーマーや、岡山県内のホテルにも送られた。このノウハウが、や がて新たなビジネスにつながっていく。

神奈川県で医療法人社団藤栄会を設立した医師の一人が、病気の予 防につながる食品として興味を持ったのは、国産小麦100%の無添加 生地でつくる安全でおいしいパン。リエゾンプロジェクトによる新事 業だった。ベーカリーだけでなく、生地工場もつくりたいという依頼 を受け、河上がプロデュースしたのが、2017年4月にオープンしたリ エゾンプロジェクト冷凍生地関東工場TOWA DOUGH FACTORYであ る。藤栄会の子会社、株式会社藤和メディカが運営し、販売が好調す ぎて生地の製造が間に合わない繁盛店など、リエプロで開業したベー カリー数十店舗に冷凍生地を販売している。

リエゾンプロジェクト東京1号店 兄弟で支え合う〝浜田山の小さなパン屋さん。

ラ・スリーズは、リエゾンプロジェクトの 東京1号店として、2011年7月27日に東京都 杉並区浜田山にオープンした。

店名はフランス語でサクランボを意味し、 櫻木幸人氏と弟の幸司氏の名字の桜からとっ た。看板にフランス語のまま「la Cerise」と 書かれた読めない店名ではなく、その下にあ る「浜田山の小さなパン屋さん」で覚えてい る常連客も多い。

兄の幸人氏は、元サラリーマン。安定した 会社に不満はなかったが、40歳を過ぎたころ、 考えが変わった。これからの人生、自分のリ スクで事業をやってみたい。何で事業を興す のか、頭の中で思いを巡らせていると、「普段 づかいのもので勝負しなければ」という考え が浮かぶ。そんなとき偶然に見つけたのが、 リエゾンプロジェクトのホームページだった。

5日間の研修で本当にパンづくりをマスター できるのか疑問には感じたものの、「人生の一 大転機かもしれない。門をたたいてみよう」と、事務局に連絡をする。1週間後にはリエゾン プロジェクトの研修に参加し、そこから急ピッ チで開店準備が進んでいった。

出店場所は、自宅があり、土地勘のある浜 田山。高齢者比率が高く、生活にゆとりのあ る世帯が多く住むエリア。「安全・安心は日本 人が今求めているもの。それに高い対価を払 うのではなく、リーズナブルに無添加のパン を提供すれば、商いとして成立すると思った」 と幸人氏。20年以上、飲食業界で働き、大阪 に住んでいた弟の幸司氏は、兄の誘いを受け て東京に戻り、すぐに5日間の研修を受けた。

事務職から製パンの世界へ飛び込んだ兄と、 帰京して3週間足らずでパン職人になった弟。 そんな櫻木兄弟が焼き上げるさくさくメロン パンは、オープン以来、一番売れている商品。 クロアソンとクロアソン・ショコラは、一日 140個売れる日もある。開業から間もなく8年。 今では 常連客の数もぐんと増え、地元の人 に愛される浜田山の人気ベーカリーだ。

(写真)
左から2番目がオーナーの櫻木幸人氏、 その右が弟の幸司氏、左端が妻の由美 子氏、右端がおかやま工房国富店の元 スタッフで、2012年10月からラ・ス リーズに加わった松本友恵氏

ラ・スリーズは、東京都杉並区の浜田山 メインロード商店街に店を構える

2011年 大阪、東京にも1号店  旗艦店の開業で面談希望者が急増

岡山では、おかやま工房がよく知られていたこともあり、リエゾン プロジェクトのセミナーを開いても反応が良く、次々に新しいミニ ベーカリーがオープンした。

ところが、東京や大阪の説明会では、参加者は大勢集まっても実際 の開業には結び付かない。全くの未経験者がたった5日間の研修で15 種類のパンをつくれるようになり、店を開業できるなど、にわかには 信じがたい。疑わしいと感じる人も多かった。

2010年3月、リエプロの大阪1号店となったのは、大阪府吹田市に 開店した和幸堂製パン。JR吹田駅前の商店街にあり、ベーカリーでは とても珍しい和風対面販売の店である。西村隆・由美子オーナー夫妻 を中心にパートスタッフとのチームワークが良く、地域のお客さまに 愛されている。

和幸堂が関西の旗艦店のような存在になり、その後、大阪を中心に した関西エリアで1年間に10店舗あまりがオープンした。遠い岡山で はなく、近くに実店舗ができたことで、リエプロに興味のある人が和 幸堂を訪ね、本当に素人から始めたのか、5日間の研修でパンがつく れるようになったのか、経営はうまくいっているのかなど、オーナー から実際に話を聞き、納得して参加を決めるケースが増えたのだ。

東日本大震災の影響で、進んでいた15件がすべて立ち消えになっ た関東でも、2011年7月にリエプロの東京1号店となるラ・スリーズ がオープン。無添加生地と焼きたてにこだわった〝浜田山の小さなパ ン屋さん〟は、杉並区の浜田山メインロード商店街に櫻木幸人氏と弟 の幸司氏が兄弟で開店した。リエプロを通じて開業した店舗の中でも 常に高い売り上げを誇り、順調に経営を続けている。

関東でも、これを機に急激に面談希望者が増えた。リエプロの本格 始動から約10年。2019年8月までに全国に221店のミニベーカリー がオープンし、来年以降も多くの開業予定が控えている。

2012年 全員8時間労働の平社員  スタッフの要望で役職を廃止

経営も店づくりも、時代の変化や流れに合わせて変えていく必要が あると河上は考える。おかやま工房は、2012年4月に一切の役職を廃 止した。店長、副店長、チーフ、リーダーを全部なくし、正社員をす べて平社員にしたのだ。これは河上が望んだことではなく、面談の中 で、何人もの正社員が要望したことだ。

責任が責任者を潰す。役職があると、責任者は河上からの指示や叱 責を直接受け、部下の教育も引き受けて、つらい立場で仕事をするこ とになる。精神的に脆弱な若者が多いので、それに耐えられるだけの 強い心は持ち合わせていない。

自発的に責任者の仕事をしているにもかかわらず、リーダーの役職 が付いてリーダー手当をもらうより、プレッシャーの少ない楽な立場 で毎日楽しく仕事をしたい。それが現代の若者なのだと理解している。

役職をなくしたことによる弊害はない。「報告がない」と怒ったり、 「店長なんだからしっかりしろ!」と叱責したりする必要がなくなり、 河上のストレスもなくなった。

日本のパン業界には、かなり改善されてきたとはいえ、いまだに薄 給・長時間労働の悪しき慣習が残っている。おかやま工房は、リエゾ ンのオープン時に「岡山のパン屋さんのお手本になってください」と 労働基準監督署に言われた。以来、タイムカードと給与明細を照合さ れ、毎年細かく監査を受けた。

正社員全員が平日は8時間労働。週末には少しだけ残業を許可して いる。平日に残業する正社員がいると、残業代を加えた人件費が高く なり、赤字になる。一般的なパン屋の人件費率は30%弱だが、おか やま工房の人件費率は32%を超える。2006年に8時間労働にし、実 際に赤字の月もあるが、スタッフの笑顔が増えたと河上は感じている。 心にゆとりが生まれ、楽しそうに仕事をしている。何より、辞める社 員が少なくなった。

2013年 ジャカルタ、成都、ジョホールバル  海外店舗のオープンラッシュ

村田幸平氏の突然の電話から1年9カ月。河上が初めて海外でプロ デュースしたベーカリー、PAN-YAの1号店がジャカルタに無事オー プンした。河上やオーナーの村田氏が顧客ターゲットにしたのは、世 界中を飛び回り、日本のおいしいパンの味を知っている富裕層。「ジャ カルタで一番高いが、一番おいしい」と称されるPAN-YAのパンは、ジャ パンブランドの力もあり、オープン当初からよく売れた。

模倣店が現れるほどの有名店となり、2010年10月にはジャカルタ で最も格式のあるショッピングモールPlaza Indonesiaに5号店を、 翌2011年12月には6号店を出店。2013年8月には韓国・LOTTEグルー プのLOTTE SHOPPING AVENUEに7号店がオープンし、ジャカルタ にPAN-YAファンを増やした。

2013年4月には、中国・成都の中心部に完成したショッピングモー ルに、河上が初めて手掛けたベーカリーカフェ、香焙可の1号店がオー プン。12月には、より広い2号店が開業している。さらに、マレーシ アのジョホールバルでも、2013年4月にPan Kobo Cafeをプロデュー スしている。

河上は、現地の製パン機械、現地で調達した材料、現地のスタッフ を使い、その国の気候風土に合わせて改良したレシピと、製造スタッ フへのわずか5日間の技術指導で、ベーカリーやベーカリーカフェを オープンさせる。オーナーには投資家や起業家が多く、製パンやベー カリー経営の経験はない。現地スタッフも、ほとんどが製パン未経験 者。オーナーは店の経営に専念し、河上やおかやま工房のトレーナー の指導を受けた現地スタッフが日本のパンをつくる。

これが、河上がオンリーワンのベーカリープロデューサーといわれ る所以だ。PAN-YAの案件をきっかけに、海外でのプロデュースとコ ンサルティングは、おかやま工房の中核を担う事業となり、河上への プロデュースの依頼は今も後を絶たない。

中国・成都 美食の街でベーカリーカフェを初プロデュース

日本の伊勢丹やイトーヨーカ堂が立ち並ぶ 成都の中心部に開業した若者向けのショッピ ングモール・銀石廣場。その地下1階に、2013 年4月、河上が海外で初めて手掛けたベーカ リーカフェ「香焙可」がオープンした。

総経理を務めるのは成都出身の女性、周林 伶氏。店の経営のすべてを任されている。日 本語が堪能で、日本でもキャリアがあり、河 上に白羽の矢を立てたのも周氏だ。

河上をプロデューサーに選んだ理由は二つ。 一つ目は、無添加でパンをつくるノウハウを 持っていること。食品の安全性を脅かす問題 が頻繁に起きている中国で、無添加のパンは 必ず注目される。ベーカリーで成功するには、 ほかとの差別化が必須だと強く感じていた周 氏には好都合だった。

そして、もう一つは、河上が何事にも臨機 応変に対応できる経営者マインドを持ってい たことだと言う。周氏が中国でのベーカリー ビジネスの話を持ちかけた相手は一様に興味 を示したが、日本の機械を使ってほしい、製 造スタッフは日本に連れてきて修業させてほしいなど、開業のプロデュースに多くの条件 を出してきた。河上は、現地の機械、現地の スタッフを使って、その国の消費者のニーズ に合わせた店づくりをする。日本人のビジネ スを押しつけるのではなく、中国人のビジネ スにも理解を示してくれたと話す。

オープンして5カ月。河上は、1号店のコン サルティングと、2号店、3号店のオープンに 向けた打ち合わせのために成都を訪れた。今 回は、新商品を提供するために、パンの試作 も行う。河上が用意してきたレシピに加え、 周氏から出された要望に応えるための追加レ シピ。河上の頭の中の記憶を引っ張り出した り、日本に電話してレシピをメールで送らせ たり、試作したパンは40種類以上に上った。 食パン生地にクランベリーやクリームチーズ を入れたパン、白あんにみそを加えたあんパ ンなど、製造・販売スタッフ全員で試食して 多数決を取り、周氏が最終的なゴーサインを 出したパンが実際に販売される。すべてのス タッフが、店づくりを担っているのだ。 (2013年10月に取材)

マレーシア・ジョホールバル 常連客を名前で呼び、Facebookを通じて情報発信

日本人オーナーの原口朋久氏が経営する ベーカリーPan Kobo Cafeは、高所得者向け のコンドミニアムが立ち並ぶジョホールバル の高級住宅街Horizon Hillsに、2013年5月に オープンした。

漠然と起業することが夢だったという原口 氏。結婚を機に、妻の出身地であるジョホー ルバルに移り住んだ。マレーシアで始められ るビジネスの可能性を探っていくうち、人を 通じて河上のパンに出会い、このパンならマ レーシアで成功できると確信したという。

とはいえ、経営の経験もなければ、ベーカ リーで働いた経験もない。オープンに漕ぎ着 けるまでが、とにかく大変だったと当時を振 り返る。

製造を任されたのは、おかやま工房で3カ月 の研修の受けた原口氏の幼なじみ、中山育氏。 当初は経営に専念する予定だった原口氏だが、 オープン時に採用したマレーシア人の従業員 が全員辞めてしまい、現在は店頭で販売と接 客を担当している。

人繰りで苦労したPan Kobo Cafeの売り上 げは伸び悩んでいる。しかし、オーナー自ら が接客することで、変わってきたこともある。レジの前には原口氏の名前が入った店の名刺 が置いてある。自分の名前を覚えてもらい、 気軽に話しかけてもらいたい。常連客の名前 もできるだけ覚え、来店時には必ず声を掛け るようにしている。

タイ料理のレストランを経営するスウェー デン人男性とタイ人女性の夫婦は、Pan Kobo Cafeの常連だ。シェフなので味にうるさいと いう妻も、この店のパンはお気に入り。夫は、 「Tomo」と呼ぶ原口氏とたわいもない話をし、 大好きなクルミパンとヨーロッパ人好みのお いしいコーヒーでゆっくり過ごす朝のひとと きが欠かせないと言う。

パンにうるさい欧米人の顧客が多く、リピー ターも確実に増えている。Facebook上で続け ている情報発信は、新商品やイベントの告知 が中心だが、情報を見て足を運んでくれる常 連客も多く、パンのリクエストを投稿してく れることもある。

一日も早くベーカリーの経営を軌道に乗せ、 2階にフードも提供する本格的なカフェをオー プンさせたいと、今日も笑顔で店に立つ。 (2013年9月に取材)

約2年間で5000万円超 中国プロジェクトで払った高い授業料

次々にプロデュースの依頼が絶えない海外 事業だが、最初からすべてが順調だったわけ ではない。

2008年秋、インドネシア・ジャカルタでの プロデュースが成功すると、巨大市場を持つ 中国からの引き合いが増えた。中国でも、富 裕層には合成添加物に対する不安があり、無 添加のパンへの関心は高い。マーケットが大 きいだけに、打診される案件の規模や予算も 桁違いに大きかった。

河上は、上海や南京に何度も足を運んで開 業に向けた話し合いを重ねたが、行くたびに 話は二転三転した。ベーカリープロデュース の依頼のはずが、急に資本投入を求められた り、契約書に全く聞いていない内容が書かれ ていたり、契約の最終段階で必ず問題が起こり、まとまらない。最後は、河上が契約を固辞 して終わらせた。

ビジネスの手法の違いと、複数の投資家の 思惑に振り回され、約2年間で使った経費は 5000万円を超えた。中国ビジネスを深く学ん だとはいえ、高い授業料である。

河上の関心は中国から完全に離れていたが、 2011年夏、日本企業が経営するベーカリーの コンサルティングを依頼される。これを機に、 中国でのビジネスを再開。中国では資本は投 入せず、プロデュースとコンサルティングだ けを行うと決め、2013年には成都でベーカリー カフェの1、2号店をプロデュースした。3号 店オープンの計画もあり、上海・南京での苦 い経験は、その後の中国・東南アジアでの海 外事業に生かされている。

2014年 通関トラブルを乗り越え、 バリ島に直営のベーカリー&レストラン開業

海外で自分の思い通りの店づくりをしてみたい。ベーカリープロ デュース事業が海外で本格化する中、河上は、東南アジアの旗艦店と なる直営店を出したいと考えていた。

候補地になったのは、インドネシアのバリ島。リエゾンプロジェク トで開業したオーナーに誘われ、現地を訪ねてみると、ジャカルタと 違って治安も良く、人も街ものんびりした雰囲気のリゾート地。おい しいパンを売るベーカリーもなく、ビジネスの可能性を直感した。

出資者はすぐに集まり、情報収集や現地視察を重ねていたが、2013 年10月の渡航で出店場所が決まり、一気に話が進んだ。場所は、バ リ島南部のクタに新設されたショッピングモールLippo Mall Kutaの 地下1階。154㎡という十分な広さが確保できた。

2014年春のオープンに向け、準備が始まったが、出資者が多すぎ、 店のコンセプト、店名、会社名など、意見が全くまとまらない。結 局、最初に河上にプロデュースを依頼してきた税理士の人見知之氏 と、建築会社を経営する大西完二氏を主な出資者に、おかやま工房が 資本金を増資し、直営店にすることで話が落ち着いた。2014年3月 11日に、PT. BALI KOBO設立の基本許可が下り、店名はBAKERY & RESTAURANT BALI KOBOに決まった。

4月のオープン予定で開店準備は進められたが、何度も通関トラブ ルに見舞われる。シンガポールの会社に発注した製パン機械や、上海 から届いた陳列棚がことごとくインドネシアの税関で止められた。日 本から送った包材も、すぐには通関させてもらえない。

最終的に約5000万円を費やし、1カ月以上遅れたが、河上の帰国日 当日の5月18日にプレオープンを強行した。陳列棚は間に合わず、平 台にパンを並べての開店となった。

その後、9月27日のグランドオープンを迎えたころには、すでにバ リ在住の日本人の間でパンがおいしいと評判になっていた。

2015年 ハラルビジネスの誤算で経営の危機 初の海外直営店も閉め、バリから撤退

2014年10月、全国で初めてハラル(HALAL)認証を受けた米粉を 使い、イスラム教徒向けにハラルのパンを製造するプロジェクトが岡 山県吉備中央町で立ち上がった。食の安全は日本の武器になると考え ていた河上にとって、イスラム圏への製品輸出も視野に入れた先駆的 なプロジェクトになるはずだった。

さらに別の計画もあった。2020年の東京オリンピックを見据え、 ハラルが注目される中、ハラルパンのリーディングカンパニーを目指 し、2015年3月20日、Halal Bakery Cafe Liaisonを東京都港区三田 にオープンしたのだ。日本初のハラルベーカリーは、多くのメディア の取材を受け、順調な滑り出しを見せたかに思えた。

しかし、岡山の米粉プロジェクトも、東京のハラルベーカリーも順 調とは程遠い状況だった。最大の誤算は、通常のパンより高いハラル パンを買うイスラム教徒がほとんどいないことだった。ハラル食品し か口にしない敬虔なイスラム教徒は、そもそも来日しないし、日本に は住まない。「売り先はいくらでもある」と言われていたハラルの米 粉パンも、ふたを開けてみれば、売り先がなかったのだ。ホテルに売 り込んでも「高いね」のひと言で終わってしまう現実に、河上は1年 でプロジェクトから抜けることを決めた。それは、ちょうどバリの 直営店を閉めたのと同じタイミングだった。BALI KOBOを出店した ショッピングモールが当初の見込みほど集客できず、大苦戦していた。 この直営店出店で3千数百万円の損失を出し、東京のハラルベーカリー に4000万円以上を使っていたため、損失は8000万円近い。銀行から 融資を止められ、岡山の経営者の間では倒産の噂も流れた。

ハラルベーカリーはオープン1年後にハラルをやめ、通常のベーカ リーに変えたが黒字化できず、2017年3月に閉店。2店舗の閉店によ り、銀行が要求した赤字の止血はできたが、ハラルビジネスの誤算と BALI KOBOで被った損失はあまりに大きかった。

2015年 Liaison Project USA Inc.を設立 ロサンゼルスに研修センターを開設

現在、おかやま工房が展開する事業の中で最大の利益を上げている のは、リエゾンプロジェクト(リエプロ)である。

リエゾンプロジェクトが業界の常識を覆した理由は、何年も修業す る必要がなく、たった5日間の研修で、製パン経験のない素人でもミ ニベーカリーを開業できるシステムにある。このノウハウを誰もまね できないため、おかやま工房が市場を独占しているのだ。2009年の 本格始動以降、すでに220店舗を超えるミニベーカリーがオープンし ている。

2014年4月にはリエプロ東京オフィスを開設し、10月には事務所 の規模を2フロアに拡大。6階の研修センターに加え、新たに借りた 5階にオフィスと海外事業部を置いた。2017年3月に閉店したハラル ベーカリーは、東京三田研修センターとして稼働している。

リエゾンプロジェクトは海外進出も果たした。2015年5月、アメ リカのロサンゼルス(LA)に、おかやま工房の子会社としてLiaison Project USA Inc.を設立し、9月にはリエゾンプロジェクトLA研修セ ンターを開設。LAにも支店があり、飲食専門のコンサルティング部 門を持つ株式会社太幸の協力を得て、LAのショールームに研修セン ターを開くことができた。

日本ではなかなか信用されなかった「5日間でパン屋になれる」シ ステムをアメリカ人は、「合理的だね」と言ってすぐに受け入れた。 宣伝のために始めたパン教室にも人が集まり、研修の申し込みもあっ たが、実際に契約し、開業する人は誰もいなかった。

障壁となったのは、製パン機械にかかるコストである。日本の機 械を使って開業する場合、UL規格(主に電気製品に対する安全規格) の認証取得に、1台につき200万円近くかかるのだ。高い初期費用を 払っても、パンが売れる保証はない。河上は、ロサンゼルスの近郊に モデルショップをオープンさせる必要性を強く感じていた。

2016年 倒産覚悟の大きな賭け 「カンブリア宮殿」の出演へ

ハラルビジネスから撤退し、バリの直営店を閉めて赤字は抑えられ たが、経営危機である状況に変わりはなかった。

東京のPR会社に毎月80万円を支払い、リエゾンプロジェクトのプ ロモーションを依頼していたが、宣伝をすればするほど、たった5日 間でパン屋になれるシステムが怪しまれ、契約数は伸びなかった。ど うにかならないかと迫る河上に担当者は、日経新聞に載るか、「ガイ アの夜明け」「カンブリア宮殿」「情熱大陸」といった視聴者に信頼さ れている人気番組に出演するしか方法はないと断言した。これまでの 統計とリエゾンプロジェクトの性質から考えて、出演のアプローチに は1年~1年半くらいはかかるが、その間、PR活動をしていけば、ガ イアの夜明けかカンブリア宮殿には出られるという。

1000万円を超える費用は、銀行に融資を止められたおかやま工房 にとって大金だったが、河上は、PR会社の担当者を信じて、そこに 懸けることにした。もし1年半経っても番組から声がかからなければ 倒産だと腹をくくった。

数カ月経つと、少しずつメジャーな雑誌にリエゾンプロジェクトが 取り上げられるようになり、「経済界」「財界」の取材依頼を受けたと きには、間もなくだろうと確信していた。

まず、ガイアの夜明けのディレクターから出演依頼の連絡があった。 会って話をしたが、事業が多岐にわたるので、54分の番組に複数が 出演するガイアには収まらないと、テレビ東京の中で話し合いが持た れ、カンブリア宮殿にと決まった。

ところが、河上は、「村上龍さんとスタジオで対面するのは緊張す るので、ガイアでいいです」と断ってしまった。番組プロデューサー が何度も説得に訪れ、最後はリエゾンプロジェクトのスタッフに、「事 業の拡大のために、カンブリアの話を受けてください!」と言われ、 河上は再び腹をくくった。オンエアは2016年12月15日に決まった。

2017年リエゾンプロジェクトの契約が1年で60件 “カンブリア効果”で経営が一気に好転

「カンブリア宮殿」のスタッフに半年も密着取材をされ、ついにス タジオ収録の日がやってきた。かなり緊張していた河上の控え室に、 小池栄子氏を伴ってあいさつに訪れた村上龍氏は、「河上さんも無趣 味って聞いたんですが、そうなんですか。僕も趣味がないんです」と、 とても気さくに話をし、著書「無趣味のすすめ」にサインをして手渡 した。これで一気に緊張がほぐれた河上は、リラックスして村上氏と 話が盛り上がり、休憩の間もしゃべり続け、収録時間は2時間半を超 えていた。休憩中に村上氏と打ち合わせた内容まで話を進める前に“巻 き”が入り、完全燃焼とはいかなかったが、予定通り2016年12月15 日(木)21:54~22:54にテレビ東京で放送され、「ふわふわ無添加& 天然酵母パン!人気の職人驚きのメソッド」とタイトルが付いていた。

カンブリア宮殿の出演で経営は一気に好転し、1年でリエゾンプロ ジェクトの契約が60件。契約料だけで約2億円の売り上げになり、融 資を止められていた銀行の態度も一変した。

ホームページのアクセス数が急増し、問い合わせの電話は鳴り続け た。リエプロ説明会の日程をサイトにアップするたびに申し込みが殺 到し、100人規模の説明会を東京と大阪で何度も開催した。

2017年夏ごろに北米でもカンブリア宮殿が放送され、アメリカ・ カナダから問い合わせが増えた。放送後すぐにボストン、ロサンゼ ルス、オーロラ観光で有名なカナダのイエローナイフ(Yellowknife) から連絡があり、4人の日本人が11月に東京で研修を受けた。即契約 を希望したイエローナイフ在住の鈴木誠二氏の本業は、ヘリコプター のパイロット。サイドビジネスの寿司店を20年以上経営している。 2017年の年末に開業予定だったが、営業許可が下りず、北米1号店と なるJa-painは2018年4月24日に無事オープンした。寒いため、機 械はよく故障するが、経営は好調だ。フィリピン・マニラでプロデュー スを手がけたTOKYO BAKERYも、順調に売り上げを伸ばしている。

2018年 奇跡のスピードオープン アナハイムに待望の直営店が誕生

リエプロのモデルショップの開業に向けた物件探しは難航してい た。ロサンゼルスの家賃が高すぎるのだ。そんなとき、長年LAに住 んでいる部下の久木留隆秀から、気になる物件があると連絡が来た。 久木留が前職で知り合ったアナハイムのデベロッパー、シャヒーン・ サデフ氏(Shaheen Sadegh)の持つ物件だという。

サデフ氏はアパレル出身の開発業者だが、アナハイム市と合弁で会 社をつくるなど、地元の有力者。アナハイム市役所前の通りの不動産 をほとんど所有するといわれる不動産王だ。サデフ氏がリエプロのパ ンの味をとても気に入り、ぜひにと出店を打診してきた。2018年2月、 河上も渡米して店舗を見たが、ロケーションも良く、日本人があまり いないのも気に入った。全米展開には、日本人がいない街で成功しな いとダメだと思っていたからだ。

サデフ氏の好意で、家賃は低く抑えられたが、当初予定していたチー ズショップとカフェに加え、ワインバーも購入してほしいと持ちかけ られた。一緒に手放したかったようで、交渉の余地はないようだった。

アルコールの営業許可とクラフトビールのサーバーが20本ついて いたので、ビアバーならできるかもしれないと、3店舗の営業権を 3000万円で契約した。家賃は3店舗で月100万円のところを60万円 と決まった。不要な機材は処分し、新たに製パン機械を購入し、内装 工事などの初期投資に5000万円ほど費やしたが、営業許可は再度取 得が必要で、相手はアナハイム市役所。かなりの時間がかかると心配 していたが、2018年3月に契約し、7月1日に奇跡的なスピードオー プンを果たした。サデフ氏と内装業者の人脈によるところが大きい。

レシピやマニュアルをアメリカ仕様に作り変えるのに数カ月かかっ た。費用が高額なUL認証を回避するためだ。アメリカの機械は安いが、 故障が多い。リスク回避のため、Okayama Kobo Bakery & Cafeでは、 ミキサーもコンベクションオーブンも発酵機もすべて2台置いている。

2019年 Anaheim Japan Fairを初主催 アーバインに直営2号店も計画中

アナハイムにオープンしたばかりのOkayama Kobo Bakery & Cafe とBEER BAR Bizenの知名度を上げるために、何かイベントを主催し たいと提案してきたのはグアム生まれ、LA育ちの日本人、海外事業 部のロッキー米山だった。LAやOC(オレンジ郡)ではジャパンフェ アが毎年開かれるが、アナハイムにはない。その第1回をLiaison Project USAで主催しようというのだ。LAのイベント会社に実際の運 営は任せ、リエプロUSAは飲食と物販の66ブースの受付や、広報宣 伝を中心に協力することになった。

集客3000人を目標にしていたが、アナハイム市やアナハイム観光 局が積極的にPRをした結果、2019年5月25日当日の来場者数は5倍 の15000人を軽く超え、30の飲食ブースの商品は3時間ほどで完売し て大クレームになるほど。ベーカリーカフェとビアバーの集客も予想 以上だったが、アナハイム市役所前の通りで過去に開かれたどのイベ ントよりも人が集まったそうだ。来年以降の開催も確定事項らしい。

2019年は、秋のボストンをはじめ、いろいろな国と街でリエプロ USAのベーカリーが開業予定だ。ミャンマーのヤンゴンでも11月に ベーカリーがオープンする。

LA研修センターに代わる新たな物件を探しながら、治安の良いアー バイン(Irvine)に直営2号店を出す話もある。

そして、国内のリエゾンプロジェクトでは、2019年2月に開業した 岡山大学病院内のミニベーカリーに続き、医療機関や介護施設、住宅 展示場、雑貨店など、親和性の高い異業種と組んで、リエプロ開業店 舗の拡大を目指していく。10年、20年先を見据え、おかやま工房国 富店の拡大移転も計画中だ。全面バリアフリーで、車いすでも働ける スペースを確保し、障がい者もシニアも雇用し、日本全国から働きた い若者が集まる店にする。パン業界に働き方革命を起こす! 河上に 立ち止まっている暇はない。

 

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